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人生は一言で語れないぜ!

Dreamerな僕の365日

【退職エントリー】2017年3月31日を持ってサラリーマン引退しました

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 日本の総人口数は平成29年3月1日現在で1億2676万人 (総務省統計局 調)

そして毎年人数を下げているが、20万人に満たない新卒者 (厚生労働省 調) が就職という道を歩んでいる。

 私も統計の一人にしっかりカウントされていただろうか、私は'14年の新卒者として企業就職の道を選んだ。サラリーマンとして3年間働いた私はこの度、独立することを決めました。20代の男子である私のサラリーマン引退を決断してちょっとだけ未来を語る夢と偏見の物語をみなさんにお届けします。

 

サラリーマンとなった私

 当時の私は公立高校の商業科の過程で学んでいた。高校受験の際に当高校の情報科への入学を目指していたが、学力が低く情報科の志望を諦めて商業科に志望を変えて受験した。高校を卒業したら就職をする気でいた私は実業高校への進学は絶対条件とした上で、高校進学を目指した。高校2年生の頃に情報系の企業を就職先にしたいと心に決めたが、高校の商業科の求人は情報系企業への就職を目指した私にとっては、興味を持てる企業はなく、自らネットで求人を拾って学校に提出したりした。学校側は、問い合わせしてくれたり、してくれなかったりした。どこも情報系学科を希望という回答だった。とりあえず就職を選ぶしかないのかという時に、システムオペレータの委託業務を請け負う企業を進路の先生から勧められた。一部プログラム開発を請け負っており、企業内のキャリアアップの中でプログラム開発業務に就けるのではという思いから、この企業への就職を決めた。

 

現実の社会人生活

 社会人1年生の私は働くことへのワクワク感しかなかった。仲間と企業の成長のために力を合わせて働く。こうした毎日を想像しただけに現実に愕然とした。企業にとって、本当に私が夢見た形が実現している企業は少なからずあるだろう。しかし、私が入社した会社、配属された場所はというと、ただ目の前に並べられた仕事をこなすだけの人たちばかり、飲みに行けば会社の愚痴。サラリーマンはこんなものかと感じた。考えてみれば仕方のないことなのかもしれない。社員みんなが会社のコンセプトに同意して入社してきた訳がない。社員みんなが会社の目標に向かって頑張っているだろうか。面接で何者かを演じ、ただ世間から遅れをとらないように就職をゴールに走っている。一見熱い言葉を並べる人はいたりするが、行動が伴っていない。口だけで何もしない。口癖は「難しいんだよ。」だ。こんな環境下で社会人生活を送ることが苦痛になり、私は上司に異動の希望を伝えた。もともとこの会社のプログラム開発を夢見て入社を希望した私は、開発の環境であるならば少しくらい努力を重ねる技術者が多くいるのではないかと考えたのである。入社1年に満たずに会社をトチってしまうのは早いと思いました。辞めるのはいつだってできる。何かこの会社から得てからでも辞めるのは遅くないと、開発者として働くために技術力を独学で勉強することにした。初心者であった私が開発環境で働くためには技術を見せなければと思ったので、プログラム言語、システムの知識。資格取得が早いかと思ったが、机上の勉強になってしまうと感じてすぐに資格取得の勉強はすぐにやめてしまった。

 

目標のプログラム開発者へ

 つまらないなと感じる、先輩たちのようになってたまるかと考えるようになった私は、とあるタイミングで本社主催のイベントに参加する機会を得た。その時に入社の時に参加していた部長さんに、異動したい。開発に異動させてほしいと訴えた。部長は顔も名前も知らない私に、「何ができる」、「開発と言っても様々だ」、このような事を世間知らずの私に説明してきた。やはり資格も技術もない私がこれから開発者として働くことは無理なのだろうかと感じた時に、私は3年間だけ目指そうと決めた。何か行動を起こす時に終わりを決めることが大事であると考えた私は、3年この会社で開発に異動できないのであれば退職すると決めた。そんな出来事から数ヶ月経つと、本社から私に辞令が出た。あの時の部長さんが私の異動のために動いてくれたという。ただ、異動先は研修室であり、そこで技術をつけろということだった。当然満足だった。このまま今の職場で毎日潰すくらいならば、スキルアップできる研修室でもなんでも自身の力をつけるために時間を使うことこができる。研修室への異動が決まった私は本社に拠点を置く研修室へ配属された。そこで私は職場によって人の意識は全く違うということを感じた。本社という場所だからなのか、または、それ以外に意味があるのかはわからなかったが、前の配属先とは全く違った人達がいた。少なくともこの時に、私はあの時辞めなかったこと事にホッとした。私は研修室で1ヶ月プログラミング技術を学んだ後に実際に業務アプリ開発を行う部署に配属されることになる。技術だけでなく、何かしらの行動が自身を導いてくれるのだと感じた。

 

見えた景色から退職へ

 夢見た開発環境で、プログラマーとの肩書きを得た私はここで1年半程度仕事をすることになるが、入社から3年で退職することになる。配属された環境は技術力は持った少数の下に一般的にプログラムが書ける社員が通常業務をこなす環境だった。チームリーダーがうまくチーム作りした、リーダーあってのチームだなと、それだけで今までの職場とは明らかに違うことを察した。圧倒的技術力の差を感じながらなんとか通常業務をこなせるまでになった私は、委託業務を行う企業の限界を感じた。自社開発を行うことのない企業は技術力をつけたとしてそれを発揮する場面に恵まれないなと感じた。日々、新しい事に挑戦して何か社会を変えられる事をしたいと考えるようになった私は、委託業務をこなせるようになって見えた景色に物足りなさを感じた。まだまだ業務の奥深さを知らないが故の感覚なのかもしれないが、奥深さを求める時間はないと、ここでようやく退職を考えた。よりクリエイティブな毎日を送るために私は何がしたいのだろうと考え始めた。

 

夢見がちな目標

 退職を考えた私は様々な人に会う機会があったり、若くで様々なことに挑戦している人をインターネットを通して知る機会があった。浅はかな考えだと自覚はしているが、独立・起業に興味を持つようになった。自分の意識のままに行動して道を切り開く。こんなにもエキサイティングな仕事が存在するのかと感じるようになった。挑戦するには今しかないと、若い内での挑戦をと、再就職など考えることなく独立へとシフトした。ただ、技術力もなければ自分の強みも見つけられない今の段階では何を軸に事業をするかが課題であった。そんな時に、私と地元が同じでありながら、地元の魅力を広めるために東京で様々な活動をしている方との出会いがあった。そこで私は初めて自分が生まれ育った町の魅力を知った。地方から東京に出てきて活躍する方々は多くいても、地方の中で活躍を日本に発信する人は少ないなと感じた。地方自治による地方活性化活動では着手しない新しいベンチャーを事業とした活動をしようと決めた。衰退する一方である地方のあり方を模索する。若い人を巻き込めるアイディアで勝負できる活動にしたい。何も形にできていない現状ではただの夢物語でありますが、4月から始動していきます。日本の課題に盲点を見つけて社会に影響を与えられる活動を目指したい。

 

Author : You (@journeyeartj) | Twitter

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